安倍晋三元総理の死去について感じたこと

本日、8日11時頃に奈良県内の近鉄大和西大寺駅前の街頭演説中に41歳の元海上自衛官に「宗教的な恨み」による散弾銃の発泡され、奈良医大病院にて17時3分に命を落としてしまった。まずはじめに冒頭始めにこの度はご冥福をお祈りし後世の世が平和でいれることを切に願うばかりです。

これまでに総理で暗殺された人を振り返っていこう。

伊藤博文(初代、5代、7代、10代)

明治42年10月26日、中国のハルビン駅で、朝鮮半島の独立運動家だった安重根からの銃撃

原敬(19代)

大正10年11月4日、東京駅のホームで青年により刺殺

現職の総理の初の死去

高橋是清(20代)

大蔵大臣在任中に昭和11年2月26日に起きた二・二六事件で皇道派青年将校らによる武力テロにより暗殺

浜口雄幸(27代)

昭和5年11月14日、東京駅のホームにて佐郷屋留雄による銃撃

その際は無事だったが昭和6年8月26日に銃撃の傷により死去

犬養毅(29代)

昭和7年5月15日に起きた、海軍青年将校らの武力クーデターにより五・一五事件で暗殺


これに追加して今回の安倍元総理の死去。


戦後、右翼団体やら暴力団による政治家暗殺はあったものの総理大臣は初。とても稀な歴史的事件である。

私自身、安倍元総理の政治活動には不満はあった。ですが今はそれはもうどうでもよい。なぜならば戦後最年少総理大臣就任、歴代最年長在任数であったから。勿論代々政治家家系で権力者であったのもあるがこれまで30年間政治の世界に残っていれたのはそれなりの人格者であったからだと思う。そして本日Twitterでこのようなものをみつけた。

2021年衆議院選挙にてとある少年が安倍元総理に手紙を渡したところ翌日にこのような手紙を渡した際のものである。丁寧に平仮名でかいてあるのに暖かく感じる。

今後二度とこのような暗殺による悲劇が起きないために世は何をすべきか?

日本の軍事防衛力を高めること、そして権力と金を一緒にし乱用しない世の中をつくりあげること、安定した雇用制度をつくることであると思う。昨今ロシアウクライナの争いをみて何か感じないだろうか?日本だってうかうかしていられない。このまま衰退を続けていけばいずれ日本は中国やロシアに食いつぶされ終焉を迎えるだろう。先人たちが身体をはり命がけで守ってきた伝統を死ぬ気で守らねばならない。今回のことが平和ボケを解消し世の人が政治に関心を持ち一人一人が国を守っていく意識を高めるキッカケになったら安倍元総理の死が教訓になるだろう。

今こそ立ち上がり皆の力で未来の日本を築いていこう。

おまけではあるが私は幕末の世が好きである。皆様には歴史と政治と国の文化を連立させ日本という国がここまでどのような道を歩んできたのが研究心を抱くキッカケになればとご紹介したい

文化12年12月27日生まれの佐藤信寛(さとうのぶひろ)である。実は安倍元総理の5代前の先祖である。要するに信寛の来孫が安倍元総理なのである。写真はなかなかないがたったひとつ見つけた写真がこちらである。

幕末の長州藩士で明治維新以降は島根県令(島根県知事)をつとめ、明治33年2月15日84歳に死去。

実はこの先は読者が調べていただきたいが実は今の官僚などには長州藩士のご子息が多々いらっしゃるのである。

明治の世で倒幕派が実権を握らず佐幕派が実権を握っていたらきっと安倍元総理は生まれていないかもしれない。

幕臣などで明治維新後、新政府に従事する方々は意外といるのである。しかし反旗を翻したものに対しては明治新政府は容赦なく抹殺してきた。令和の世に続くまで実は少しばかし他国の操り人形にされている。

歴史は奥深い。そして重い。絶対にせめて天皇を中心とした日本文化は守らねばならぬ。

臥薪嘗胆この言葉を忘れずに私は前進していくのみ。

謙吾の人生

目指す先は全国に仲間をたくさん作ること

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